先日、インスタのストーリーで私の今の職業である
『カラーセラピスト』と『不登校支援』の仕事にたどり着いたキッカケを発信しました。
すると意外にも反響がありまして、私と似たような方や、くすぶっているママさん達に届いたらいいなと思い、
ブログにも残してみることにしました。
1.沖縄移住と孤独な専業主婦の日々
私は7年前に沖縄県へ引っ越し。当時は長女が1歳半。家族以外に知り合いはゼロ。完全核家族でした。
長女が幼稚園に入園するまで、私は知り合いのいない土地で無理して友達を作ろうとしていたのかもしれません。
専業主婦だったし、自分が自由に使えるお金もない。
子どもを育てるのは母親が当たり前・・・特に長女を育てるときは自分に言い聞かせていました。
しかし専業主婦で子育てをこなしていくと、『働きながら子育てしている人がうらやましい』と
感じるようになり、少しずつストレスが溜まっていきました。
「旦那のお金だし…」という言葉が常に脳内にあって、何かやりたいことがあっても
旦那に言わなきゃいけないという状況が苦痛で、自分のために使えるお金はわずか3000円。
それ以上は言えなかったのです。
そんな状況と当時2歳の次女の子育てもあり、私のイライラは次第に子ども(特に長女5歳)に向かい始めました。
コロナ禍の長期自粛期間中で私は精神的に追い詰められていきました。
2.カラーセラピーが私を救った瞬間
私は娘に手をかけるかもしれない・・・
子どものことが分からない、可愛くない。
顔も見たくないし、泣いている声にも苛立つ
こんなことをボソッとSNSでつぶやいた時に友達から
『カラーセラピーのモニターやってほしい』とお誘いがきました。これが私のカラーセラピーとの出会い。
そこから私の娘や旦那への気持ちは大きく変化していくことになります。
子育てや家庭のあり方の正解や間違いを見つけようとしていた私。
〇〇しなきゃ!〇〇であるべき!とかいうワードに囚われてた。
モニターでやったキュービック・マムは
『娘の今の気持ちを表してくれた』
聞きたくても聞き出せない自分と、伝えたくても伝えられない娘。
私は何を見ていたんだろう・・・
モニターで1回しただけなのに、これがあったら私は救われるかな。母親として変われるかな。
そんな僅かな願いが『学びたい』に変わっていきました。
3.不登校支援の仕事との出会い
私と娘には必要かもしれない。私のこれからの母親として学んでいきたい
と旦那に申し出て、大人になって初めて自分から学ぶ選択をした。
学生時代はポンコツ。勉強と机と相性合わない人種。週末呑みに行くために働く。
そんな私が自分からカラーセラピストの勉強を始めて、娘と現実と向き合っていけるようになって
心が少しずつ安定していく日々。
色って面白い!!この人って何色なんだろう。もっと知りたい
どんどん欲が出て自分のこれからの人生の為に『カラーメンタリング』『キュービック・マム』を学び始め、
いつの間にか子どもに対する理不尽なイライラや旦那に対しての不満が薄れて旦那の悪口を言わなくなった。
カラーメンタリングを学び終わって半年ぐらいした頃に
そろそろ働きたいなぁ。カラーセラピーの資格活かしたいな。
という気持ちが出てきて、友達に相談すると紹介されたのが『不登校支援』の仕事だった。
旦那にも働きたいことを相談すると・・・
社会復帰して家庭と両立できるならいいんじゃない?
とオッケーもらえたけど、今考えると「なんで私の両立が前提なの?」と思う。
それからパートタイムで不登校支援の仕事を始めたが、意外にも魂吸われる仕事。
でも有難いことに、様々な理由を抱える家庭、教師・行政・警察・外部機関など色んな人と関われて
当たり前が当たり前じゃない日常を経験しながら、今までの価値観や思考に刺激を与える日々でした。
4.家庭背景と親との関係性の気づき
不登校支援の仕事をしていてふと考えたことがあった。
自分がなぜこの仕事についたのか。
『自分の家庭背景が関係しているよ。何かないとこの仕事続かない』とよく言われていた。
思い返してみると、私と親との関係性だったことに気づきました。
小さい時から親の過保護気味、過干渉。
親がオッケー出す友達意外とは遊べない。学校帰りの寄り道はダメ。とにかく色んなことに制限のある家庭。
実父は社会的プライド重視で世間体大事。実父の親(祖父:教師)には頭が上がらない。
私を監視して、自分のレールに乗せようとする。働いてからもそうだった。
実母は、父親に反論できない。家庭を守る専業主婦。
私が何かすれば『お父さんがなんて言うか・・・』が口ぐせ。
どうせ否定するんでしょ。どうせ分かってくれない。そう思って生きてきた。
私がだいぶ大人になり、両親の別居。離婚も視野に入れてるとは言え、自分で働こうとしない母親。
そんな家庭で育った私が気づいたのが
母親は父親に支配されていたんだ・・・
ということだった。不登校支援の仕事をしていなかったら気づかなかった視点だった。
何かにつけて子どもを理由にしたり、もし離婚となっても自分で稼げるようにしておきたい。
ただそれだけで『親から解放されたい』と思うようになっていました。
5.カラーセラピーと不登校支援で得たもの
翌年も不登校支援の仕事にカラーセラピストとして携わりながら、子どもたちと向き合ってきたが、
もっとカラーセラピーを学びたい!!が強くなって、今度は自分で稼いだ自分の給料で講座代を払って受講。
旦那には受講を決めたあとに報告だけにしました。
そこで初めて『旦那に聞かなきゃ』の思考が崩れて、自分の意思で決められたことに自信がついた。
旦那は家事や子どもにも積極的に関わるようになり、私の仕事にも理解を示すように♡
私は実母とは違う。実母みたいになりたくない。私はやりたいことをやり続けるために自分で稼いで自立したい。
旦那に何かあっても、私がどうにかできるように。だから働きたい!
というマインドの変化もありました。
不登校支援を通じて、私は自分自身と向き合い、2人の娘の母親としてどうあるべきかを学びました。
また、カラーセラピストとして、親や子供たちとのコミュニケーションがいかに重要かを再認識。
自分が親から欲しかった愛情を見つけることも出来た。
実父の悪口を聞かされるんじゃなく、私の良いところを褒めてほしかったし、ただただ抱きしめてほしかったし、ハイタッチされたかったり。否定される前に自分の想いを聞いてほしかったり。。。
お金はあって不自由な暮らしはしていないが、心は満たされてなかったのかも。
と気づいたときに『カラーセラピー』と『不登校支援』は
私がそこに気づき自己成長するために必要な学びでした。
娘たちに私と同じような感情を持ってほしくないと気付けた自分にホッとしたのを覚えています。
6.カラーセラピーのメリット
『キュービック・マム』は娘たちの気持ちを表してくれて、娘たちも『キュービック・マム』があれば
ママが分かってくれるって理解している。
憶測や勘違いで子どもの心を捉えるんじゃなく、ちゃんと向き合って話を聞けるようになりました。
『カラーメンタリング』で私と旦那のすれ違いも改善して、コミュニケーションがとりやすくなり、
どんな相手でも色でフィルターかけるので、苦手な人が減ることにも繋がりました。
子どもたちのお友達関係にも色を取り入れて会話が出来ているから、人付き合いでの
自分で自分を守る方法も身につけてくれています。
そして私がストレスを感じていた『旦那に聞いてみます』
ってワードは無くなり、旦那の悪口を言うこともなくなり、カラーセラピストとして自分の人生の選択を
しっかり出来るようになったここ3年。
今は好き放題に自分の意思で動いて学んで想像できなかった人生を送っているけど
子どもたちもそんな私についてきてくれてるし、一緒に楽しんでくれてる。
旦那も何も言わず?お願いしたら協力してくれてなんだかんだ応援してくれてる強い存在。
新しい世界に飛び込んだり、学んだりするエネルギーってすごく使うけど、
自分で自分の人生を選択できる自分になれたらすごく気持ちよく生きれる。
くすぶっているママや、自分の家庭背景に違和感を持ちつつも受け入れているママ、
もっと私らしく生きたい!と思っているママたちに、
私の経験が少しでもお役に立てたら嬉しいです。
私たちママだって、自分の人生を選択し、もっと楽しく生きていい!!!
セレクトカラーズは、カラーセラピー(色彩心理学)を利用して自分の強みを知って
大切な人から応援される人生を作るサポートをします。
長いブログを読んでいただきありがとうございました(*^^)v